異文化コミュニケーション

日タイ交流大使(自称)

自分には何もないけれども何者かになりたいと思う

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今はフリーランスとして働いて、それなりに楽しい日々を送ってはいますが、それが100%自分の理想の人生かといわれると必ずしもそうではありません。

悩みや不安もそれなりに抱えながらの生活を送っています。

 

 

現在進行形で会社員として働いている人がいて、人生の方向性を考える参考になればいいなと思いフリーランスとしての葛藤を共有します。

 

何者かは周りが決めてくれた会社員時代


会社員のころは会社の看板を背負って生きていました。

お客さん先でも、プライベートでも自分が何者であるかは会社に名前で定義されていました。

取引先に行けば、○○社のTakuさんと認識されていて、ある程度話や提案も聞いてもらえました。

飲みに行けば面識もないお偉いさんにおごってもらえて、同窓会に行けば会社の名前で自分の人間性を周りが勝手に想像してくれる。

異業種とのつながりだって、総合電機メーカーという枠の中で認識してもらって会話にもなる。

会社の看板が自分という実態を形どっているようなそんな感覚でした。

社会では当たり前かもしれませんが、なんとなく不安でした。

自分というあり方にすごく不安でした。


それを同期たちが当たり前のように受け入れて、うまく立ち振る舞っている姿を見ると、ますます不安で、「これが正解なのか?」と違和感が生まれた。

 

会社を辞めると何者でもなくなる現実

会社員の生活に限界を感じて退職した2016年、自分は何者でもなくなってしまいました。

本当の意味での人生最初の壁かもしれません。

今までは属して来た組織で定義されていましたが、これからはひとりです。

会社を辞めて当たり前だけど「自分には本当にないんだな」ということがわかりました。

幸いにも仕事はいくつかありました。

翻訳やITの知識を生かして何とかクライエントを探して案件を受注して働いていました。

無理やりにでも「自分はフリーランスだ!」と主張したかったのでしょう。

でも、それはやっぱり自分が何者でもない裏返しなのです。

英語ができれば翻訳なんぞ誰にでもできます。

ITの知識なんて所詮非技術者レベルの付け焼刃です。

自分が何者なのだろうかという問いはフリーランス生活が長い今でも疑問として持ち続けています。

 

2匹のネズミ

いきなりですが、2000年代初めに公開されたハリウッド映画”Catch me if you can”を観たことはあるでしょうか?

レオナルド・ディカプリオ演じる詐欺師が、人をだまして成り上がって生きていくというストーリーだが、その中でディカプリオの父親がする話がすごく印象に残っている。

2匹のネズミがいて、牛乳の中に落ちておぼれていた。

一方はあきらめおぼれ死んでしまい、もう一方はもがいて牛乳がバターになって助かった。

父さんは2番目のネズミだ。

まさに今この2匹のネズミ、どちらにでもなりえる状態にあると思っています。

会社という組織から離れたのも自己責任で、ここから何をするかは自分次第です。

おぼれ死ぬも、もがくも自分の選択ということです。

そんなことより、カップに入った牛乳をバターにするとは電動ミキサーぐらいのパワーを持ったネズミなんだな。

 

好きなことは何ですか?

自分が何者でもないのには変わりないけれども、幸いにも自分には好きなことがいくつかあります。

それはやりたいこととも言い換えることができます。

※プロフィールご参照

ポーカー、旅行、異文化、投資、経営学、ブログ。

今まで生きてきた人生の中で見つけた宝物のような物たちです。

自分には何もないけれども、2匹目のネズミのようにもがくことはできます。

今はポーカープロとも旅行家とも投資家とも経営者とも何とも言えないただの人です。

自分の好きなことを極めときに自分は何者かであるか明確な答えが出る気がしています。

 

結局、解はないけれども

ここまで、考えをまとめてみても結局冒頭の「自分は何者であるか」ということに対しては今の時点では何も言えません。

ただひたすらに前向きになってやっていくしかないのかなと思っていて、それが現時点の自分なのでしょう。

いろいろとやりたいことがまた出てくるかもしれません。

何かを嫌いになるかもしれません。

しかし、今やりたいことを一生懸命することで、何かを手にできるかもしれません。

グダグダな結論となりましたが、考える糧になったのならばうれしいです。