異文化コミュニケーション

日タイ交流大使(自称)

I love youって表現は日本語にはない

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「世界は言語によって切り取られている」と気づいたのは20歳そこらの時の話。

言語によって切り取られているとは言語が壁になってコミュニティが別々になっていて、21世紀の今でもそれが交わることはあまりない。

不便な世の中、面白味が残っている世の中。

リンゴひとつで何思う

何故、そう思ったか。

アメリカ留学時代にスーパーで買い物をしていて、たまたまリンゴを手に取った。

当時、自分の中でスーパーマーケットをランクづけしていて、Vonsというちょっと高級志向のスーパーマーケットがマイランキング1位で、ほぼ毎日と言っていいほど通っていた。

いつものように買い物をしていて、たまたまリンゴを手に取った。

アメリカでいうところの一般的なリンゴというのは水分が少なくて、小ぶりで、蜜などという概念を忘れた貧相な印象の果実。

お世辞にも美味しいとは言えない。

日本で一般的に売られているリンゴとは品種が全く違う。

たまたまVonsには日本の品種であるFuji Appleも並べて売られているために、比較すると全く別物だということがわかる。

「でも、英語で表現すると、どちらもAppleなんだよね」

その2つを並べてみて見た時にその違和感に気づいた。

英語は学ぶことは文化をのぞき見すること

自分は高校卒業後すぐに留学して、0から英語を学んだ。

 

どれぐらい0からというと、冗談抜きにYesとNoしか会話で使えないレベル。

HowやWhatなどのオープンクエスチョンに関してもYes、Noで応えようとしていた正真正銘の初心者。

結局6年留学して大学院まで卒業したが、最初の半年は英語できなさ過ぎて孤独で泣いたりしていた。

そこから、なんとか学校や日常で学んで学問に使えるレベルになったが、効果的だったのはテレビを毎日見たことだと思う。

当時ケーブルテレビが普及していて数百もある番組を視聴出来て、最初はアニメばっかり見ていた。

日本でもわりとメジャーなSimpsonsやFamily Guyから入り、どんどんブラックジョークのきついアニメばっかり見るようになって、次第に音楽、政治、経済や若者のPopカルチャーに触れるようになっていった。

今、振り返るとあそこがアメリカ文化に触れる扉になっていて、見出しにもあるように主人公または傍観者として文化をのぞき見するようになったのかもしれない。

半年を過ぎたころから、自分の中で、アメリカ文化をのぞき見た経験が言語になって自分の中に蓄積されて、口からぽろぽろ発せられるようになった。

初心者はようやく感覚と言語が一致するようなレベルに。

のぞき見ると表現したのは文化を通じて言語世界で切り取られた世界の感覚を得るのは難しいからです。

経験すればひとつひとつ感覚と言語がつながってそれが蓄積となるのですが、初めはやりとりを傍観するところから始めるしかありません。

愛してるは破棄された日本語

外国人の女性と付き合うと頻繁に出てくるこのフレーズ。

出かけるたびにI love you、電話を切るたびにI love you、寝る前にI love you。

あのリンゴの件と一緒で、違和感がチクリと刺さった。

ふと思った。

「I love you」の日本語は果たして「愛してる」なのだろうか?

日本で長年生活して「愛してる」とおそらく数回しか言ったことはないと思う。

その昔、お侍の時代。

日本人はシャイなため「I love you」というフレーズをそんなキザキザでこっぱずかしいコト男が言うはずないと「今夜は月がきれいですね」と訳したそうな。

なるほど、この違和感はDNAのように受け継がれている日本文化ではごく当たり前なのかもしれない。

日本語で切り取られたこの世界では「I love you」は「いってらっしゃい気を付けて」であって、「おやすみなさい」でもあるのだ。

「愛してる」が日常的な日本語辞典から破棄されていれば、その他多数の言葉がそれに準ずる言葉として認識されているのだろう。

なかなか奥ゆかしいではないか。

言語の世界を突破にするために

自分はこの言語世界に縛られるのをずっと恐れていた。

今でも恐れている。

会社員としての身分を捨て、ある程度自由になった今、この言語の壁を突破する最大のチャンスだと感じている。

友人と呼べる人が台湾とタイに数人いるが、いつか彼らのことをきちんと理解したい。

それが人生のひとつの目標。

これを達成できた時には自分の世界は何倍にも大きくなって、もっと楽しくなっていると信じている。

そのためには、言語で切り取られた世界を文化を通じてのぞき込むしかない。

ということで、2016年は準備して2017年には移住計画を打ち立てたいと思ってます。

 

まとめ

言語を勉強するのはもともと得意じゃなかったけど、人を介して文化を体感すると抜けなくなるくらいはまってします。一生、この感覚はついて回るんだろうなーと思うと悲しくてうれしい。これからずっとチャレンジでずっと未知の世界を体感できる。