異文化コミュニケーション

日タイ交流大使(自称)

【LGBTを真剣に考える】レディーボーイに本気で告白されて感じた事

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レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー。最近は大手メディアでもLGBTという言葉で取り上げられるようになりました。でも、あなたはLGBTのことをどれぐらいご存知でしょうか?

 統計的にLGBTはどのコミュニティにも7.5%程度存在する。13人に1人と言ったところでしょうか。

この割合だと、あなたの身の回りにも数人存在することになります。なので、この話題はあなたにも関係ない話ではありません。せっかくこのページにたどり着いたので、これを機に一度考えを整理してみてはいかがでしょうか。

 

LGBTを知るきっかけ

海外は日本に比べてLGBTに関して寛容でオープンな一面があります。日本ではLGBTというワードを聞くと、水商売を連想しまうかもしれませんが、海外ではいわゆる”ストレート”な人間と同じコミュニティで生活していることが多くあります。なので海外生活が長い人は、LGBTへ対しての理解が深まる機会は多いのではないでしょうか。

ちなみにストレートっていう単語は差別的に使っているわけではなく、その人を表す純粋な表現として使っています。

自分はアメリカの大学に在学していた際に、性教育のコースを履修した経験があります。特に興味はなかったのですが、「必須だからしょうがないか」ぐらいの感覚でした。毎週1回で16週間のコースだったと思いますが、ものすごく印象に残ってます

だって毎週ゲストスピーカーとしてLGBT+いろんな性癖を持った人たちがゲストスピーカーとして来て、自分たちの話をしてくれるんですもん!

LGBTに加えて、SMの女王様としもべ(?)、女装が趣味な男性、元性犯罪者などなど。非常にぶっ飛んだコースですが、世界を知るという意味ではすごく有益でした。

自分はそこでLGBTに対する一応の理解は得たなという感覚でいました。

 

レディーボーイに本気の告白をされる

タイトルの通り、自分はなかなかできない経験をしたのかなと思っています。何が起こったのかを順を追って説明します。

出会いはアドベンチャーの産物

それは、タイのバンコクにロングステイしていた頃に起こった。例のように交友を広げようとMeetUpというアプリでアドベンチャーしていました。

 

www.loveandpeace.site

 

一緒にイベントに参加した人たちとはFacebookを交換して、メッセージのやり取りなどしていました。すると「あなたの友人XXの友人」というフレこみで知らない人からメッセージが。

一度、会いたいとのこと。

若干怪しいなと思ったが、友人XXの友人なら大丈夫だろうとことで近くのカフェで会うことにした。

当日、そこに現れたのは身の丈150㎝程の可愛らしい”女性”だった。

熱を帯びた数奇なお茶会

仕事のことや、大学のことなど、牽制球ともいえるちょっとピリッとした空気で始まったお茶会。

結果、フェイスクリームを売る会社で働いている20代だということがわかり、すぐに打ち解けることができた。

 

www.loveandpeace.site

 

自分の性格も手助けして、それからは堰を切ったようにしゃべりにしゃべった。出身地のこと、職場のこと、将来のことなどなど、熱を帯びて盛り上がった。気づけばコーヒー3杯で半日カフェに入り浸った。

時間はすでに夜10時。もう遅いし今日はこれくらいにして帰ろうと思った。

帰り際の攻防

帰り際に”彼女”は二つの告白をしてきた。

自分に好意があることと、”彼女”ではなく”彼”だということ。

衝撃だった。

 

僕が自分の意思を告げると”彼”は大粒の涙をぼろぼろとこぼし始めた。

そこから3時間、”彼”は「帰りたくない」と言い続け泣き続けた。

24時間オープンのカフェだったのでサドンデスに突入かと思われたが、深夜過ぎには解散することになった。

レディーボーイに告白されて感じた事

ある程度のことには動じないと思っていたが、人生初の経験に正直動揺しまくった。けどいろいろ考え深いものは感じました。

絶対的な壁がある

告白をされたときに、同性を愛するということは自分にとって絶対に越えられない壁のように感じた。今回はっきりしたのは、自分は「女性の外見が好き」というよりも、それを含めた「女性としての事実」が本能的に好きなのだなとはっきりした。でも、”彼”が「あのお茶会のもりあがり様はなんだったの?」って言いたくなる気持ちもわかる。

"彼"は純愛だった

メディアなどの影響だろうか、やっぱりレディボーイ=水商売という固定観念が自分の中でも出来上がっていた。”彼”らも当たり前に人を好きになって、青春を送る。それはLGBTの世界だけで完結しない場合もある。あの時の涙はそんな当たり前のことを気づかせてくれた。自分はなんて愚かな人間なのだろうか。

友人ではだめなのか

 好きだと言われたときに、異性に言われたときのような感覚にはならなかったが、でもちょっとうれしかった。それは、友愛的なものだと思う。その人の性別は別にして、気の合う人に認められたようなうれしさだった。友人としてであればこれからも付き合っていきたいと思えた。

じゃあ結論的にどうなのか

社会的にもっとオープンになったら全員が過ごしやすいんじゃないかなと思う。そもそも”ストレート”がそうであるように、”LGBT”ということを隠す必要がない社会が正常な社会。ストレートかLGBTかなんてただのタイプの違いで、上戸彩が好きな人もいれば、綾瀬はるかが好きな人もいる。じゃあ、阿部寛が好きな人もいるって!ぐらいの感覚が根付いた寛容な社会になってほしいものです。

今、自分個人にできることはほぼないですが、こういったブログで自分の考えを発信して多くの人に共感してもらえれば、少しでも社会の流れは変わるんじゃないかなって思います。

あなたはどう思いますか?